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貴方と幸福の24時間

​ 時計の針が規則正しく一秒を刻む音がする。
 世界の全てに残酷なほどに平等に、時間が流れている証拠だ。その音を遠い意識の底から聞いていると、それ以外の音も次第に届き始める。
 鳥のさえずり、何かの機械音、誰かが誰かを呼ぶ声、風が窓を揺らして、一日が始まったことをあらゆる音が告げている。
 目を開けたら自分もその流れの中に混ざって、身支度を整え朝食を済ませ仕事をして、そうして社会という仕組みの一部となって今日という日を積み重ねていくのだろう。
 自分にとって最も適した、つまりは最適な自室のベッドから身体を起こす。隣には未だ兄が深い眠りに落ちていることが見て解る。自分にとってこのベッドが最適な理由の大半はこうして兄が一緒に寝ているからに他ならない。兄がいれば例えばソファ、あるいは寝台列車の狭い簡易ベッドや寝るためだけの場末の安宿のスプリングがくたびれたベッドすら最適と呼べてしまうかもしれない。
 着替えながら、さて今朝の朝食はどうしようかと昨夜見た冷蔵庫の中身を隅々まで思い出して脳内のレシピを探る。 常に常備されているトマトはいいとして卵は昨日帰りに買い足しておいた、特売の鶏モモは半分は冷凍してあるから急いで使う必要は無いだろう。それよりベーコンブロックがまだ使いきれてなかった筈だからさいの目切りにしてオムライスの具にしてしまおうか。それとトマトをまるごと使ったサラダに、パレンジ入りのさっぱりとしたヨーグルトでもあれば十分だろう。
 身支度が整う頃には朝食のメニューも決まり、メニューを考えることで眠気もすっきり飛んだ。
 ふと、先ほど意識を浮上させるに至った時計を見やり、そのままいまだ眠る兄の顔を覗き込む。なんというか、先に起きた方から見ると実に腹立たしいほどによく寝ている。
 しかしそれも仕方がない。兄は自分よりもずっと大変な仕事をしているのだ。
 朝は自分よりやや遅めに出るが帰りは少なくとも3時間は遅い。ヘタをすれば日付が変わる頃にようやく帰ってくる。それでも兄は自分が作った夕飯をしっかり食べてから寝るのだが仕事柄仕方が無いとはいえ夜遅くに食べてしかもすぐ眠るなんて、近い将来の兄の腹回りが心配だ。
 とはいえ夕飯抜きもそれはそれで体調管理に支障が出るだろう。だからこそせめて朝食は重すぎず、しかしきっちりと取って欲しいので、朝のほんの数十分ではあるが自分は進んで兄より早起きをして調理を開始するのだ。
 リビングに行くと飼い猫のルルがふくふくとした体型に似合わぬ素早さで足元に擦り寄ってくる。どうやらこちらも本日の活力の為の朝ご飯をご所望のようだ。所定の位置にカリカリの入ったのと水が注がれたルル用の器を用意して先ほど考えたメニューをいつものように準備する。我ながら慣れたものだ。
 ベーコンと人参を同じくらいの大きさにさいの目切りにして更にグリーンピースとコーンを入れて、コンソメが隠し味のケチャップライスを作り、外はふわふわ中はトロトロになるように程よく火を通した卵を盛りつけたケチャップライスの上にポンと乗せ、真ん中に切れ目を入れれば自然と卵が広がり覆い尽くす。
 サラダ用に各種野菜を切りそろえて盛り付け終わろうかという頃、小さなアラーム音がし、完成する頃には兄が起きてくる。

 「おはよう兄さん、もう出来たから冷めないうちに顔洗っておいでよ」
 「おはようルドガー、ああ、いい匂いに釣られて二度寝を諦めてしまったよ」

 いつでも完璧な兄であろうとするユリウスは、それでも寝起きの瞬間はどこか隙が見て取れる。この家では安心できるのだと、いつか言っていたのをふと思い出す。安心しきってついついゆるゆるとしてしまうのだと。
 それでも年の離れた弟である自分から見ればやはり完璧な兄なのだが。油断しきった兄を見てそれでもそう思うのだから、外向きの兄しか知らない他の人たちから見たらさぞすごいことになっているのだろう。なんせファンクラブだの親衛隊だのいるのだ。
 これはあくまで予想でしかないが、きっとエージェントでなくとも……それこそ列車の車掌だとか、郵便配達員とか、そんな身近な職に就いていたとしてもそれは変わらなかったんじゃないかと思う。

 「うん、トマトにベーコンの旨味が混ざって今朝はまた格別に美味いな。流石はうちのシェフだな。お前就職先、クランスピア社なんかやめて何処かのレストランにでも行って、いずれ自分の店でもかまえたらどうだ?」
 「大げさだなぁ、そういう腕前はしてないよ、あくまで家庭科レベルだろ? 家庭科で満点取れれば店を出せるなら街中に色んなレストランが立ち並んでるよ」
 「おいおい、中には家庭の味おふくろの味を売りにしてるようなところもあるんだぞ?そういってやるな。」
 「家庭の味と家庭科の味は一緒にしちゃ駄目だと思うけど」
 「第一ルドガーの料理の腕はこの俺が保証するんだからな?」
 「……兄さん、それ自分の事もすごいって言ってるの解ってる?」
 「手厳しいなぁ。お前を信じる俺を信じろって言うだろう?」
  「そういう暑苦しい方のお兄ちゃんは嫌いじゃないけどご遠慮下さい」

 そんな事を言い合いながら穏やかな朝の時間は過ぎていく。すっかり食べ終わってくつろぎながらも、そろそろ自分はアルバイト、兄は出社の時間だ。
 本来就職活動中であるのだが、自分が幼い頃から憧れている第一志望のクランスピア社の入社試験はいつでもやっているわけではない。いっそ別の、どこか自分でも十分やれそうな職を探したほうがいいのかもしれないと暗い気分になることもあるし、いつまでも兄にばかり負担をかけさせているような気がして申し訳ない気持ちになることもあった。
 それでも自分はクランスピア社のエージェントという夢を捨てきれず、20歳になるまでの入社試験で合格できなければ諦めるという条件を自分で課した。駄目なら自分の特技を生かせるような職を探すつもりだ。それこそユリウスの言うコックの仕事だって、エージェントの夢がなければきっと夢中になれる仕事だと思う。何より自分はこの兄が喜ぶからというたったひとつだけの理由から料理を学びはじめたのだし、それが更に多くの人が喜んでくれたとしたら、きっと嬉しいに違いない。
 そういえば、とふと学生時代のことを思い出す。
 自分が料理が出来ることを誰かにいうことは殆ど無かった。そもそもそんな話題になるような機会がなかったのだ。そんな機会もないのに俺は料理できる男だぜ、なんて言い出すのは違う気がした。
 それでも料理する機会はある日突然やってきた。理由は何だったか、クラスの女子数名がケーキを作ると言い出したのだ。
 その中に、兄のファンであることが隠しきれてない同級生がいた。もちろんノヴァだ。以前彼女に兄が自分の誕生日に三星レストランのケーキを買ってきてくれた事を話していたのを覚えていたらしく、半ば無理矢理味見係に任命され連行された。
 最初はただ見守っていたのだが、おぼつかない手つきに軽量の仕方すら知らないらしい同級生に、これは味見以前の問題だな、と、つい手が出てしまった。なんせメレンゲのひとつも作れずに卵白をあちこちに飛び散らかしていたのである。
 ノヴァは最初こそはしゃいでいたものの、はたと何かに思い至ったようで、「乙女の沽券に関わるー!!!」と絶叫していた。
 それでも、味見係から一転指導係(--というより最終的には調理係になっていた気がするが)となって作ったケーキは少しクリームが甘すぎたのをフルーツを増やしてその程よい酸味で誤魔化すという結果に終わったが、それでも皆美味しいと笑ってくれた。それは自分が兄以外に作った最初の料理で兄以外にも自分の料理は喜ばれるのだと初めて気付いた瞬間だった。
 後から兄に聞いた話だが、どうやら自分は相当浮かれながら帰ってきたらしい。バニラの香りを漂わせながら。
 あの時の事を思えば、自分は確かに料理が好きで、それは他人の為に自分が何かをするための手段の一つなのだ。それが仕事になるのはきっと楽しいだろうと正直に思える。
 もちろん、出来れば夢を叶えて料理は兄にのみ振えるならそれはそれで幸せなのだが。

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 アルバイトを終えて夕食用の食材を市場で購入する。鶏肉をカリッとグリルして、トマトソースと絡めたら美味しそうだ。鶏肉の肉汁とトマトのさっぱりした酸味と甘味、うん、考えただけでお腹が空いてきた。せっかくだからハッシュポテトを添えてレストランの看板メニューみたいにしようか。ならポタージュが必要だ。じゃがいも、かぼちゃ、コーン……いや、コンソメスープも捨てがたい。
 必要な物を買い揃えたら帰宅して買ってきたものをしまい込む。そして結局かぼちゃのポタージュに決定したのでかぼちゃの下ごしらえの準備をしつつ、待ち時間でちょこちょこと掃除を済ましていく。
 あらかた終わらせて休憩しようと思い、ふと振り返り窓を見た。
 いつの間にか日は大分傾いており、すっかり鮮やかな夕焼け空が広がっていた。おそらくもうあと数十分もしたら夜になるだろう。この時間になるとなぜかいつも不安になる。
 何を不安がることがあるのかと自分でも笑ってしまいそうだが、それでもこの時間は怖くて仕方が無いことがある。理由なんて解らない、ただただ、このまま世界が落ちたガラスのように、音を立てて壊れてしまうような、そんな気がした。
せめてもう少し何か作業に没頭していればよかった。 どうしてちょっと休憩でもしようなんて思ったんだろう。 窓から見えるオレンジ色が自分も、自分の大切なものも、すべて飲み込んでしまうような……
 
 ―― カシャン キィ

 ドアのロックが外れる音がして、続いてドアが開く音がする。
 そこにいたのは間違いなく、自分の兄、ユリウスだった。

 「ただいまルドガー、今日はちょっと早く終わって…、どうした?」
 「あ、えっと、おかえり。なんでもない、ちょっとぼーっとしてた」

 何も変わらぬ兄の様子に安堵する。ああ、よかった、いつもの日常だ。自分の待つこの場所に、ユリウスはちゃんと帰ってくる。そう思えた事に何故か酷く泣きそうな気分になる。

 「ごめん、今やっと下ごしらえ終わったところなんだ。もうちょっとかかるから先にシャワーでも浴びてきてよ」
 「そうか?じゃあお言葉に甘えようかな」

 そう言って荷物を自分に預け浴室に向かう兄を見送って、兄の部屋に荷物を置いて着替えを取ってきて浴室のドアの横に置くと、自分は夕食の準備にとりかかる。
そうしているうちにさっきまでの不安は嘘みたいに消えていた。例えるなら大事な約束に遅刻する夢を見て泣きそうになりながら飛び起きたら時計は約束にまだまだ余裕のある時間だった、みたいな感じだ。
 それから兄と夕食を済ませて、適当にソファに寝転がって先日兄が読み終わった推理物なんて読んでみたりしながらダラダラして、なんてことはなく一日が終わりを迎えようとする。
 自分は宗教家ではないけど、それでも新しい一日が始まるのも、何事も無く一日が終わるのも、どちらも嬉しいとただ思う。
 ソファにのんびり横になる自分をクッションにしながら借りた本の続編だという新刊を読み耽る兄の横顔をちらりと覗き見ると、本を片手で支えながらもう片方の手を口元にやって目線は読んでいる時の上下運動ではなく右を見たりすこし伏したりと落ち着きが無い。と、いう事は物語の探偵がすべて解った時点で読むのを中断しそこから先は読まずに犯人を当てる気なのだろう。
下手をすると本当に眠れなくなるくらい悩む兄だが、どちらかと言うと今読んでるこのシリーズは大掛かりな密室トリックを施すような類ではなく、どちらかと言えば現実味のあるストーリー展開が主のようだから、兄ならば程なく答えに行き着くだろう。

「なるほど、ほんの少し細工をして他の住人の証言をあやふやにして、決定的な証言を隠したか……」
「犯人解ったんだ?」
「ああ、今夜はよく眠れそうだ」

一安心といった笑顔をこちらに向ける兄に、そういう読み進め方はやめろと言おう言おうと思っても結局言い出せない。自分はたとえ犯人を読む前に聞いていても楽しめる、むしろ読者に主人公がどこまで推理できているのかも解らないまま進むタイプの作品はむしろ知っておいてからじゃないと入り込めずにストーリーが楽しめないので、とてもじゃないがこれから真相解明!というところで読むのを中断したりは出来ない。
昔は兄と違う部分を見つけるのが嫌で仕方がなかった。優秀な兄と違うという事はお前は劣っているんだと突き付けられてるような気がしていたからだ。
だけど今は違う。兄との違いがどんなに多くても兄は自分と共に居ることを望んでくれる。違ったって認め合える。
それが嬉しくて仕方がなかった。

明かりを消すと外から僅かな明かりが薄っすらと差し込む。子供の頃は苦手だった暗闇も、この歳になると妙に落ち着くから不思議だ。
二人でベッドに横になると兄が自分の頭を撫でてくれるのが、いつの日からか当たり前になっていた。
触れ合う体温が心地よい。やっぱり自分と兄の体温は表面も内部も違うのに、こうしてくっついてるとくっついてる所がじわじわと同じになって境界が解らなくなっていく。こんなにも違う自分と兄の境目が、ただくっついてるだけでこんなにもあっさりと解らなくなるのがどこか滑稽にも思えた。何よりも悩んでいた頃の自分が。
ああ、時間が巻き戻せるなら教えてやりたい。
何もかもが敵わないと思っていた兄と想いを通じ合わせることが叶う時がかならず来るのだと。
そしてそれは何よりも幸せな事だと。







-終-





※長いこと放置していた書きかけユリルドやっと終わらせられました…。小説って難しいですね。あと大変恥ずかしいです。
なんとなく決めきれずに書き終えてしまいましたがここは分史なのか正史の本編ちょっと前なのか…。
幸せ、という単語で〆てるのにこれが正史ちょっと前だったらメリバすぎますよね。いやもうエクシリア2自体大分メリバだと思いますが。これだからテイルズは。好きです。



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